スィングしなけりゃ意味ないネ
IDZ(イジメ,ダメ,ゼッタイ)を初めて耳にした時、
王様、の「湖上の煙〜smoke on the water」を
すぐさま思い出した。
IDZがもし英語で歌われていたなら、
普通のカッコイイ曲だったはずである。
気恥ずかしいメッセージや、yui+moaの
scream(合いの手)もスルー出来たのに、と。
ロック、はカッコイイものなのだから。
中学校の文化祭で先輩方の演奏する、スモーク・オン・ザ・ウォーター、は
初めて、観た/聴いた、ライヴバンド、であり、
スポーツ刈りの中1男子を痺れさせるに充分な力を持っていたが、
(その時は理解できなかったが)その曲の歌詞は、
困難を極めたレコーディングの大変さ(ようするに火事のこと)、
を歌っているだ、と云うことが判るには、英語の授業を
待たなければならなかった。
日本語を理解しないメイトたちは
中1の時の私と同じなのであろう。
アフリカから奴隷としてアメリカに輸入された黒人の
音楽が、
ヨーロッパの音楽と「衝突」した時に、
ブルース、が生まれたように、
開国させられた日本にも(?)、
妙な「混ざり合い」が起こったのではないだろうか
(洋楽、はカッコイイのだ(無条件に)、と云う「種」は
この時に蒔かれたのかも知れない)。
日常会話、と、歌詞、の距離は、
その言語の持つ、リズム感、と
関係ありそうだが、
日本語が、メロディー、と、(一定の)リズム、を伴うと
どうしても、カッコつけざるを得ない、のでは、と
思ってしまう。
和歌、は(文字通り、節、を付けて)歌われていたのだから。
日本語には子音で終わる単語は皆無である
(「ん」でさえ「んー」と伸ばされる)。
ラップなど生まれようが無い
(そう云う意味では、Tokyo No.1 Soul Set は
はっぴぃえんど的で、他方、スチャダラ
は上手いことやったナア、と)。
IDZの歌詞にメッセージを感じたい者は
kobametalにしてやられてるのかも。