babymetalを受容する(/しない)世界

アイドル(偶像)を求めるココロを通して妄想でbabymetalを考える

イパネマの娘

漫画家のひさうちみちおは、

性器は隠されているからイヤラシい。

もし世の中の女がすべて耳を隠して

外を歩きだしたら、耳はイヤラシく

なるだろう、

みたいなことを(確か『ミーツ』と云う雑誌の連載で)

書いていた(と私は記憶している)。

 

人類は差し迫った事情に因り、

男を女性器に向かわせる必要が

あったのであろう。

 

babymetalの「成功」は、

babymetal、を「聖域」に

してしまったことが原因では

ないだろうか。

 

kobametalのインタビューに見られる、

メンバーの露出/接触の制限、は

マネージメントがコントロールしているように

見えるが、我々が身を浸して居るこの環境の中で、

「コントロール」がその力だけで仕事を完遂することは

難しいであろう(海外フェスのペットボトルを

心配するぐらいだから・笑)。

我々が「そう」望むことによって初めて、

「コントロール」はその効力を発揮する

(自分で放尿を我慢しているのと同じ)。

 

往年の吉永小百合高倉健がスター

でありえたのは、まだ「聖域」が保証

されていたからで、スクリーンが支えていた

(テレビやネットには望めない)、

日常/非日常、の境界が、(あの)暗闇のなかに

あったからであろう。

 

嘘か本当か分からない状態を作り出し、

チラ見せだけを繰り返すことで、

飢え/乾き、は増長され、熱狂は加速する。

 

今またプロレスがブームなのだとか。

(特に日本の)プロレスは「虚実の皮膜」感が

重要なジャンルなので、この間まで成立しにくい

状況に追い込まれていたけれども、

ここに来て活況?を呈していることは、

babymetal現象に込められた熱と同じような

ものを感じてしまう。

 

主体性、と云う真理とやらを何処かに追いやって

くれることを(キツネ様に)祈ってしまう。