babymetalを受容する(/しない)世界

アイドル(偶像)を求めるココロを通して妄想でbabymetalを考える

babymetalのtriple goddess(地毋神)

陰陽論では、

女は陰、男は陽、である。

 

そして、地は陰である。

母なる大地であり、

父より優先される。

 

 

babymetalと、比較されたり、

フォロワーと看做される

バンド/グループ、が

現れ始めているようである。

 

babymetalは、

「メタル」と「アイドル」の、

融合、である、と云われている

が、それだけではないであろう。

 

serious=su-metal。

cute=yuimetal。

funny=moametal。

 

実は「笑い」が無ければ、

babymetalは成り立たない

であろう。

 

歌詞、キツネサイン、

コルセット、メタルネーム、

男性客のドレスコード

そして、moametal。

 

babymetalと比較される対象

には、メタル、アイドル、

笑い、のどれかひとつが

欠けているであろう。

 

babymetalのチカラは

三種が揃うことで初めて、

発揮され、我我を導くで

あろう。

そして、3者の(主たる)属性は、

強く均衡を求められている。

 

彼女たちが(其其の)得意技を

カブラナイように駆使する

ことで、

我我の住む大地は穏やかに

平らであり続けるであろう。

 

そして我我は彼女たちの

導くままに進むであろう。

陰主陽従。

babymetal paints it black & red

見渡す限りの黒と赤の波の中を

キツネサインが突き上げられる。

巨大な、モッシュッシュピット。

 

そして、su-metalの声は、

リキミも無く、ピッチも

確かで、危なげない。

 

自分たちを知らない客を

最後には熱狂させること、

がフェスの醍醐味だ、と

インタヴューでは答える

su-metal。

いまや、その醍醐味を

(日本国内では)味わうことは

ないのであろうか。

 

最早、国内のレジスタンは、

完了したかのようである。

 

しかし、もしそうであるなら、

危険なことであろう。

 

抵抗勢力の存在を、滋養、と

してきたbabymetalにとって、

統一、は回避されねば

ならないであろう。

 

ソト、に向かっていたチカラが、

行き場を失えば、ウチ、に

向かうであろう。

洗練、されていくのが、

普通の行き方であろうが、

「洗練されたbabymetal」と云う、

オトナ、な感じは、ふわふわと

した(悪)夢のような印象を

与える。

 

海外のフェスでは未だ

スリリングな瞬間はあるで

あろう。

しかし、babtmetalを取り巻く

現状は、行き着く先を

(既に)指し示しているのでは

ないであろうか。

 

そう考えると、windmill fieldを

埋め尽くしたメイト達は、

本当の「神事」に立ち会った

のかも知れない。

 

そう云えば、

オーディエンスのレスポンスを

聴くために、moametalが

イアモニを外す場面が

見られた。

まるで、

chick coreaみたい

(貫禄あり過ぎ)だ。

babymetalは、日本代表death

babymetalは、カワイイ(アイドル)とメタルの融合、である、

と常常、su-metalは発言してきたが、

ヨーロッパやアメリカのオーディエンスの受け取り方は

違っているのではないであろうか。

 

ジャパンクール、と云う着地点から振り返って見ると、

日本の(サブ)カルチャーの(欧米での)受容のされかたは

(現時点では)「総体」的であろう。

 

現代の日本のサブカルチャーの持つ意味合いは、

肥大した、コドモ文化、のオトナ文化への

湿潤であろう。

そしてその湿潤は、個別のカテゴリーで興っているのではなく、

(隕石のように)マッシヴな塊としてインパクトを

与えているようである。

 

アイドル、V系、と云った、ガラパゴス的で多様な在り方が、

babymetalの前に受容されていた背景が

トッピング全部載せ、的なbabymetalを受け入れ易く

したのではないだろうか。

 

ある種の人たちにとってbabymetalは

日本そのものであろう。

 

しかし、sonytoyotaと違うところは、

マスプロダクトでコピーを売る、と云う

態度が稀薄なところであろう。

 

生身、を擦り切れるまで酷使して

感動を生むことは日本人好みであるが、

ハイブリッド、であるが故、

ワンアンドオンリーとしての結末とも

とれることは、悲喜交交。

babymetalは、永遠の恋人になる?

恋愛、は何に因って駆動されるのであろうか。

 それは、半信半疑、であろう。

 「全信」でも「全疑」でも恋愛は終わるであろう。

 

我我が欲しいものは、真実(辛い現実)ではないであろう。

 

セックスの快楽が、薄められた痛み、である、とすれば、

本当の快楽は痛みを乗り越えなければ得られない、であろう。

 

babymetalが提示する難題(踏み絵)は、

乗り越えられることが前提であろう。

 

我我がすべきことは、

議論や抵抗では無く、

ただ、(babymetalを)受け入れる、ことだけであり、

神神は常に我我と共にオワすことを疑わないことであろう。

 

フォースと共に在らんことを。

 

 

babymetalのstrange fruit

babymetalは、「(ベイビーではなく)ベビー」メタル、で、

deathは、「です」、である

(が、th、は律儀に学校で教える方法に従っている)

と云う、お約束、は、(当然)日本語の話者にしか

理解できない、駄洒落、であろう。

 

しかしbabymetalの3人はインタヴュー時には必ず、

"we are b(e)bymetal"と自分たちのグループ名を

(ワザと間違って)発音している

(つまり「その部分だけ」日本語の発音に準じている)。

 

例えば、日本語を母語としない日本語の話者

(例えば英語ネイティヴ)が

日本語で会話する時、カタカナ外国語(カタカナ英語)、を

カタカナとして発音するのか、それとも、本来の言語(英語)の

発音に忠実に発音するのか

(デイブ・スペクターやセイン・カミュは前者であろう)

と云うことを考えると、

(babymetalの重度のメイトは別にして

日本語を理解しない海外の一般のオーディエンスにとっては

複雑な解説を要する)この、駄洒落、を、

ギミックとして活用すべく積極的に発言しない、

babymetalの姿勢(?)、は興味深い。

 

そもそも、海外の活動の為に英詞を採用していない

ことからも窺えるが、言葉のメッセージ

(が在るのかどうかも分からないが)

の優先順位はかなり低いであろうし、

単に、最初の設定が後の展開と辻褄が合わなくなった

だけであろう(ことは想像に難くない)。

 

しかし相変わらず(頑に、そして律儀に)、

伝わらない、駄洒落、は、云い続けられている。

 

やはり、no thinking just feeling なのか。

 

<このように、分析を誘発する、存在であり続けることが、

babymetalのbabymetalたる所以であり、

手の中の滑るウナギを追いかけて(?)、

何処までも走り続けるようにbabymetalを

扱うことが出来るのなら、

我我は、永遠の恋人、を手に入れられるかもしれない。

 babymetalを解った気になることは、

水をせき止めて腐らせる事と同じであろう。

我我は、矮小な枠の中にbabymetalを押し込めてはならない。

本質、などと云う不味い食べ物は我我には必要はなく、

口にすればこの世のものとは思えない美味に違いない、

(誰も食べたことのない)幻の果実

(だが舌は確実に痺れる)を涎を垂らしながら

見上げて待つだけである>

babymetalのsaudade

アイドルおたく、も、メタラー、も

非差別の存在であろう。

 

アイドル、ヘヴィーメタル、と云う表現自体が

差別の対象になるのではなく、

それらに、偏愛(に近い)を抱くものたちに

差別感情は向けられるであろう。

 

 

ヨーロッパ的な意味での、オトナ、は

日本には輸入されたものであり、

文化的には常にコンフリクトを免れないであろう

(ヨーロッパと日本のオトナ像の違いは甚だしい)。

 

 

美少女が好き、とか、初期衝動、とかの、

オトナの嗜み、からは程遠い、

幼児の欲望が乱反射しているような状態、への

肯定は、(羨まし過ぎて)オトナにはできないであろう。

 

 

白人社会での容認のされ方は、

babymetalにとって好ましい、と同時に、

日本人のメイトにとっては、

(いつものように)溜飲が下がる思いであろう。

 

babymetalが、

日本人にとっては、少し変わってる、くらいの変体だったのが、

ヨーロッパやアメリカの聴衆には、(大きな)驚きをもって

迎えられた、ことは、彼の地もまた

「幼児化」に拍車がかかっているのかも知れない。