babymetalを受容する(/しない)世界

アイドル(偶像)を求めるココロを通して妄想でbabymetalを考える

babymetalのstrange fruit

babymetalは、「(ベイビーではなく)ベビー」メタル、で、

deathは、「です」、である

(が、th、は律儀に学校で教える方法に従っている)

と云う、お約束、は、(当然)日本語の話者にしか

理解できない、駄洒落、であろう。

 

しかしbabymetalの3人はインタヴュー時には必ず、

"we are b(e)bymetal"と自分たちのグループ名を

(ワザと間違って)発音している

(つまり「その部分だけ」日本語の発音に準じている)。

 

例えば、日本語を母語としない日本語の話者

(例えば英語ネイティヴ)が

日本語で会話する時、カタカナ外国語(カタカナ英語)、を

カタカナとして発音するのか、それとも、本来の言語(英語)の

発音に忠実に発音するのか

(デイブ・スペクターやセイン・カミュは前者であろう)

と云うことを考えると、

(babymetalの重度のメイトは別にして

日本語を理解しない海外の一般のオーディエンスにとっては

複雑な解説を要する)この、駄洒落、を、

ギミックとして活用すべく積極的に発言しない、

babymetalの姿勢(?)、は興味深い。

 

そもそも、海外の活動の為に英詞を採用していない

ことからも窺えるが、言葉のメッセージ

(が在るのかどうかも分からないが)

の優先順位はかなり低いであろうし、

単に、最初の設定が後の展開と辻褄が合わなくなった

だけであろう(ことは想像に難くない)。

 

しかし相変わらず(頑に、そして律儀に)、

伝わらない、駄洒落、は、云い続けられている。

 

やはり、no thinking just feeling なのか。

 

<このように、分析を誘発する、存在であり続けることが、

babymetalのbabymetalたる所以であり、

手の中の滑るウナギを追いかけて(?)、

何処までも走り続けるようにbabymetalを

扱うことが出来るのなら、

我我は、永遠の恋人、を手に入れられるかもしれない。

 babymetalを解った気になることは、

水をせき止めて腐らせる事と同じであろう。

我我は、矮小な枠の中にbabymetalを押し込めてはならない。

本質、などと云う不味い食べ物は我我には必要はなく、

口にすればこの世のものとは思えない美味に違いない、

(誰も食べたことのない)幻の果実

(だが舌は確実に痺れる)を涎を垂らしながら

見上げて待つだけである>