babymetalを受容する(/しない)世界

アイドル(偶像)を求めるココロを通して妄想でbabymetalを考える

babymetalはわれわれを上手に騙してくれる

隠されている、と云う事が重要であろう。

 

文芸誌「MONKEY」で、村上春樹、が、

自身の長編小説の、書き方、を、

開陳、している。

 

その内容は、開陳、の名に相応しく、

実に懇切丁寧な文章で綴られている。

つまり、レシピ、を公開したことになろう。

 

しかし、この、開陳、は真実なのだろうか。

 

 

村上春樹はメディアに殆ど登場しない。

彼の姿や声を映像等で確認することは

難しい。

(正に、「読者」は)

文章によってのみ村上春樹と対面することになる。

 

この事は、彼の言動を疑わしくさせると共に、

彼の存在そのものも疑わしくさせるであろう。

 

我我は、日常的に目に触れているものに対しては、

「安心」してその存在を認めるであろう(現実がどうあれ)。

 

しかし、殆どその存在を拝めないとしたら、

そこから発信される情報の真意(真贋)は

常に、疑心にさらされるであろう。

 

我我の本当の欲望は、真実、を求めないであろう。

 

(特にエンタテイメントにおいては)

理論の整合性は邪魔になるであろう。

我我は訳の分からないものに翻弄されることだけを「心底」望むであろう。

ただ気持ち良く騙され続けることを望むだけであろう。

 

babymetalのメンバーが、世を忍ぶ仮の姿、で

メディアに現れないのは必然であろう。

 

それは恋愛であって、結婚であってはならない。

 

flesh <我我が貪るのはどんな肉なのか>

babymetalは、そもそも(総体として)、

ヘヴィー メタルでもアイドルでも無い「何か」なので、

新曲が発表される度に起こる

メタラーやドルオタの批判は、前提、として

制作サイドには受け入れられるであろう。

 

日本人、は、ご飯やパンやピザ生地、に

なんでもトッピングして食べられる

(西欧的には)節操の無い、文化、を持つ

民族であろう。

 

だから、babymetalは、日本にしか生まれ得ない、

現象、であるし、単なる、ミクスチャー、ではない、

複雑な、滋味、を(感じる者には)感じさせる

存在になり得たのであろう。

 

多神教、的、である、御利益、は、

彼の地、では発現するはずもなく、

此の地、のみの、ユニーク、が、

爆発した結果のbabymetalなのでは

ないであろうか。

 

毎年、天神祭で、ギャル御輿、が

行われるが、

驚異的な身体能力を持った女の子たちが

ヘヴィーメタリックな囃子に合わせて

御輿を担げば、

それはそのまま、babymetal、であろう。

 

don't think,feel

kobametalは、

babymetalに対する、<賛>、<否>、は、

(それら自体を)否定的に受け取らないであろう。

批判があると云うことは、

何らかのカタチで、批判する者の、耳(/眼)にも、

babymetalが届いている証(あかし)である、から、と

考えているようである(スルー、が最も避けなければいけない事態であろう)。

 

そして(その戦略は)、思想性では無く、<嗅覚>を優先する、とも。

 

送り手、が、嗅覚を以てそのパフォーマンスの行方を

決定しようとするなら、

受け手、の我我もそれに殉(/順)ずるべきであろう。

 

ブルース・リーの後継はsu-metalに託された。

babymetalは、「昭和」プロレス

マスクマン(コープスペイントの神バンド)、

空中戦を軽軽とこなし(yui/moaのダンス)、

圧倒的な破壊力の技(su-metalのヴォーカル)のルチャドール

 

kobametalの(無意識?の)願望は、

(カムアウトされる前の)神々しいまでに

輝いていた(時代の)、プロレス、の

復権、であろう。

 

怪物めいて、人間離れした、そして人知の及ばない

世界。

そんなロマンティックでグロテスクで謎めいた

オーヴァードライヴの効いた過剰な向こう側へ、

我我を連れて行こうとしているのであろう。

 

kobametalの志向は(ただ)圧倒的な力で

我我を、ねじ伏せよう、としているようである。

 

我我は我我のために

それに付き合わなければならないであろう。

 

なぜなら、

我我に必要なのは、カルト宗教ではなく、

ルネサンス、なのであるから。

 

babymetalはこの時代に相応しい

レジスタンスを見せてくれるであろう。

 

その為に我我は、

賽銭を投げ、おみくじを引き

一喜一憂するだけであろう。

babymetalは、ルネサンス

神神の世界では何でも(どんなことでも)起こる。

人間の矮小な思考など及ばないことが。

 

 

babymetalの素晴らしさは、

徹頭徹尾、フィクショナル、であることであろう。

 

3人の少女たちは、メタルネイムを持ち、

神バンドの構成員たる神神には(神ゆえか)名は無い。

 

 

我我の日常は味気なさ(と「息苦しさ」)に満ちているであろう。

それ故ヒーローやヒロインの存在は不可欠であろう。

 

babymetalは、今は絶滅してしまった恐竜のように

旧めかしく、懐かしく、そして(それゆえ)観るものを

惹き付ける。

 

我我は己の現実の有様に絶望している度合いに応じて

偶像を求めるであろう。

 

babymetalの(仮の姿である)プライヴァシーに触れたい、と

願う者はまだ、現実世界へのコミットは(比較的)容易だと

思われる(彼らの日常の酸素濃度は比較的「濃い」であろう)。

まだ、ガチだヤオだと議論できる余裕は残されている、で

あろうから。

 

そうではなく、もっとも危険な存在は(真剣に)babymetalの

行く末を案じている人たちであろう。

 

大抵の、親、は、子供の為、と云う

 、錦の御旗(身勝手な「愛」)を、振り回しながら子供に対し

少なからず(フィジカル、メンタルあるいは両面で)

虐待を加えるものであろう。

子供の持つ、耐性、の強弱に因り結果は様様に変わる

であろうが、

子供にとっては迷惑なことに変わりないであろう

(己(親)の、願望の充足、は隠されすり替えられているであろうから)。

 

babymetalに過大な期待を寄せる者は

babymetalがどのような偉業を達成しようとも、

(身勝手な「愛」故の)不満を漏らすであろう。

思い通りにならない対象への、身勝手な愛、は

やがて、憎悪、へとその歩みを進めるであろう。

 

<ハレ>も<ケ>も最早それらの存在が

許されない今にあって、babymetalは

孤軍奮闘を余儀なくされている。

 

あらゆる、聖域、が踏み荒らされ、

消滅しようとしている時代に、

 神事/祝祭、の場を取り戻そうと

する行為、それこそがbabymetalの使命たる、

レジスタンス、なのではないであろうか。

 

だから、

我我は、babymetalを、地上に引きずり下ろしては

ならない。

神神(とその巫女たち)の姿をただ眩しく仰ぎ見るべきである。

 

俗なる我我はbabymetalに因って浄化され(安寧さを得)ていることを

忘れてはならないのだ。

 

我我は皆自然の一部なのである(the one)。

(本当に)素直にbabymetal

su-metalのライヴ中の、ミストーン、についての

議論?があるようであるが、

擁護も批判も共に当たらない、であろう。

 

彼女は、ジャンヌ・ダルク、のように、神(キツネ様)の

声を聞いたため、

レジスタンスに身を投じたのである(まだ幼い時に)。

 

才能の潜在、は未知数であるであろうし、

何より彼女は成長の直中に居るのである。

つまり、戦士としては未熟なまま(そして「女」で)

戦場に赴いたのである。

 

戦力としては甚だ心もとない。

 

しかし彼女は戦わなければならない(レジスタンスとして)。

 

我我が見守るべきは、

彼女の、ひたむきさ、であろう。

 

彼女は傷つき倒れても

何度でも立ち上がるであろう。

そしてその度に戦闘能力(ヴォーカル/ダンス)は増強されるであろう。

 

 (ひたむきさを以て)試練(受難)を乗り越えてはじめて

レジスタンスは成就されるはずであろう。

 

charも歌っている。

上手くいく恋なんて恋じゃない、と。

 

babymetalは、マヨネーズ(革命)?three

babymetalが、(かわいいとメタルの)融合(マヨネーズになる)、を果たせず、

夫夫が分離したまま(ドレッシング)である、と(オーディエンスに)看做され続ければ、彼女たちの終焉(のひとつのカタチ)は訪れるであろう(それも、ビートルズのようにライヴを演らず、レコーディングのみの活動をする、というのであれば、延命は可能であろう。が、babymetalのライヴはそれ抜きではチーム自体が存在意義を失うであろう)。

 

babymetalは、オーディエンスの「視線」に因って引き裂かれている、であろう。

新ジャンル、を受け入れられない、ドルオタ、や、メタラー、やら(その他、その間にグラデーション的に存在する様様な人人に)に因って、引き裂かれ、蹂躙され、やがて、葬られるであろう。

 

invisible hand of kitsune-samaの力は発揮されるのだろうか。