babymetalを受容する(/しない)世界

アイドル(偶像)を求めるココロを通して妄想でbabymetalを考える

babymetalはわれわれを上手に騙してくれる

隠されている、と云う事が重要であろう。

 

文芸誌「MONKEY」で、村上春樹、が、

自身の長編小説の、書き方、を、

開陳、している。

 

その内容は、開陳、の名に相応しく、

実に懇切丁寧な文章で綴られている。

つまり、レシピ、を公開したことになろう。

 

しかし、この、開陳、は真実なのだろうか。

 

 

村上春樹はメディアに殆ど登場しない。

彼の姿や声を映像等で確認することは

難しい。

(正に、「読者」は)

文章によってのみ村上春樹と対面することになる。

 

この事は、彼の言動を疑わしくさせると共に、

彼の存在そのものも疑わしくさせるであろう。

 

我我は、日常的に目に触れているものに対しては、

「安心」してその存在を認めるであろう(現実がどうあれ)。

 

しかし、殆どその存在を拝めないとしたら、

そこから発信される情報の真意(真贋)は

常に、疑心にさらされるであろう。

 

我我の本当の欲望は、真実、を求めないであろう。

 

(特にエンタテイメントにおいては)

理論の整合性は邪魔になるであろう。

我我は訳の分からないものに翻弄されることだけを「心底」望むであろう。

ただ気持ち良く騙され続けることを望むだけであろう。

 

babymetalのメンバーが、世を忍ぶ仮の姿、で

メディアに現れないのは必然であろう。

 

それは恋愛であって、結婚であってはならない。