babymetalを受容する(/しない)世界

アイドル(偶像)を求めるココロを通して妄想でbabymetalを考える

暇を持て余した神神の遊び

babymetalの世界は、多神教、的であろう。

 

 

メタル・レジスタンス、は

3人の少女と彼女らの守護神である

「(キツネ様の命をうけた)神バンド」に因って

遂行されている。

 

kobametalは、(当初)ステージ上に

3人の少女以外の、人間、を乗せたくなかった

旨の発言を残している。

しかし、海外のシーンに進出するにあたって、(特にライヴパフォーマンス時に)

バンドのバッキングが必要になり、神バンドは召喚されたようだ

(神、は人間ではないのでオーケー)。

 

ライヴでbabymetalの3人は歌い、踊り、煽る、が

そこに(禁欲的なまでに)、アドリブ、はほとんど見られない。

 

一方、神バンドは楽器の演奏はするものの、

声を発することはない。

 しかし、彼らそれぞれの楽器の神神は

声を封じられている(?)代わりに、

入/退場時及び演奏中もやたらとオーディエンスを

煽るのだ。

 

これは規定の演技ではないであろう

(大神様にいたっては舌まで出している)。

 

バンドの「神性」は、

コープス・ペイント/キトン(みたいな貫頭衣みたいな)/無言、に因って、

保たれている。

 

にもかかわらず、(手が空けば)煽るのだ。

実に自由で(人間臭く)アウトオヴコントロールだ。

 

ギリシャ神話でも古事記でも、神神の人間と同じ様な

(いやそれ以上の)情動を感じる行動は、見られる。

神神には人間にあるような制限は(神ゆえ)無い。

 

3人の少女が「巫女(シャーマン)」であるなら、

その役割は、神託、を口伝することであろう。

ならばその行動に制限があるのは当然であり、

神バンドは神ゆえ、(少女たちより)自由が

デフォルトに設定されて然りであろう。

 

babymetalに対する、ボンデイジ感、と、

神バンドに対する、野放し感、は、

表裏一体、でコントラストは無意識的に

表現されてしまっているようだ。