babymetalを受容する(/しない)世界

アイドル(偶像)を求めるココロを通して妄想でbabymetalを考える

babymetalは、親切、である

大阪の「おばちゃん」の、傍若無人ぶり、は四海に轟いている、ようである。

(しかし)彼女たちは、目の前に居る人には、

非常に(と云うか度が過ぎて)やさしい。

 

大阪は、都会、では無い(日本国内で都会と呼べるのは、東京だけであろう)。

非常に(と云うか度が過ぎて)規模の大きい、田舎、であろう。

ただ、一般的な田舎と異なるところは、

上位概念としての、権力、に嫌悪を感じ、

それを隠さない人人の棲む田舎である、ところであろう

交通違反で警官にキップを切られてるオッサンで怒鳴り散らしていない

ヤツを見ない方が珍しいくらい)。

 

 

産業、として確立する以前のポピュラーミュージックの原型(みたいなもの)の

在り方は、(マスメディア不在に因り)プレイヤーとオーディエンス、の

関係は、親密さ(及び、曖昧さ)が今よりも、大きかったであろう。

 

レコーディングされたモノ、を売る為のパフォーマンスではあり得ないから、

目の前の客を満足させることのみに注力されていたはずであろう。

 

babymetalのライヴのfun(ny)さ、は、

(CDのプロモーションだ、とは決して感じさせない)

その瞬間だけの其処に居合わせた人人の為だけに

行われる、特別、な体験故であるからであろう。

 

一期一会、と云う言葉を、大阪のおばちゃんは(きっと)知らないであろう。

しかし彼女たちは目の前に居る困っている人には手を差し伸べるであろう。

babymetalの3人がライヴで見せる全力のパフォーマンスと同じノリで。