babymetalを受容する(/しない)世界

アイドル(偶像)を求めるココロを通して妄想でbabymetalを考える

dance to babymetal?

ダンス、無しの音楽は在っても、

音楽無しのダンスは想像出来ないであろう。

 

ヘヴィーメタルに、「ダンス」要素、が薄い(と云うかほとんど無い)

のは、かなり「モダン」な事(西欧的な進歩史観ではであるが)

であるように思われる。

 

ブラックミュージックは常にダンスと共に

(と云うより、不可分で)あるであろう。

新しいスタイルの音楽が生まれると(同時に)

それにピッタリ似合う(服のような)新しい

ダンスも登場する。

 

肉体(肉声も)は、暑苦しい、ものであろう。

生々しくその存在を突きつけてくるであろう。

そして肉体が音楽に反応して舞う時、

音楽との、ズレ、が「揺れ」を生じさせ、

更なる暑苦しさを感じさせるであろう。

 

ヘヴィーメタルはブルースに憧れないであろう。

むしろその在り方は、バッハ的なものを

希求するであろう。

いくらギターの音が歪みを増そうとも、

その音量が上がろうとも、

髪の長さを伸張しようとも(見た目の暑苦しさは増そうとも)

揺れ、は回避されようとするであろう

(「腰」には、来ない、が衝動は誘発されるため、

モッシュやダイブ、なのであろう)。

 

babymetalはメタルにダンスを持ち込んだ。

彼女らのダンスは徐々に精度を増し、

揺れ、の少ないものになって来ているであろう(メタル化)。

 

が、ダンスはダンスである。

 

全体が、ジャスト、を求める中で、

揺れ、を内蔵した、ダンス、を投入された

babymetalはもう、メタル、とは呼べないかも知れない。

(mikikometalの振り付けも、小節アタマで始まらなかったり、

小節を跨いだり、多分にシンコペイション的)

 

新しいジャンル、の面目躍如であろう。

 

アイドルは踊るのである。

アイドルイコールダンスする者、であるならば、

メタルとアイドルの融合、は当然のように、

ユニークな存在を生み出したのであろう

(しかし、我我はbabymetalで踊れるのであろうか。

それはまた機会を譲ることとしよう)。