babymetalを受容する(/しない)世界

アイドル(偶像)を求めるココロを通して妄想でbabymetalを考える

dance to babymetal?2

su-metalは、(インタヴューで)常に、

自分たちの、ライヴ、を観に来て欲しい、と、

「訴え」続けている。

 

babymetalとは、

ヴォーカル、ダンス、スクリーム、そして神バンド(のプレイ)、の

「複合」が獲得した、「全体」性、であろう。

そして、その事を最も顕著に表現できるものが、

ライヴ、であろう。

 

(音源だけの)視覚情報、の無い、babymetalはbabymetalではない、であろうし、

スタジオ録音のCDは言わずもがな、ライヴ録音でも、映像作品でさえ、

babymetalの、一部、でしかないであろう

(だから、我我は「現場」で、熱、や、匂い、さえ感じることができる)。

 

パッケージ、としての商品が売れない、と云われる今に、

「実演」を売ることに(ニーズも含めて)価値を見出すのは、

容易ではあるであろう。

が、しかし、このことは、音楽産業が今まで構築してきたシステムを

(大袈裟に云えば)破棄、することになるであろう。

 

「複製」を売ることで、産業化、してきた業界に背を向け、

昔、に戻ることのリスクは高いであろう

(肉体労働、を延々と続けることは、消耗、を意味するであろう。

だから、小出し、にせざるを得ないことは想像に難くない)。

 

リリースの頻度/間隔や、ライヴの頻度は、現時点の体制の

出来る限り、であろう。

babymetalと云うlabは現代では誰もやろうとしない

「実験」を行っているサナカなのであろう。

 

我我はその「実験」をただ固唾をのんで見守るだけである

(例えば、su-metalに漂うある種の「悲壮」感、は、その実験の、

困難さ、故かも知れない)。