babymetalを受容する(/しない)世界

アイドル(偶像)を求めるココロを通して妄想でbabymetalを考える

すぅーちゃんまじすぅーちゃん

中元すず香の言動は3人の中では最も、赤ちゃん、的だ。

 

ヒトの発達では、精神に比して身体の機能は遅れをとる。

そのため他の哺乳類より保育期間が長い。

その期間は手厚い保護が必要になる

(生涯続くヒト[特に♂に顕著]の幼児性の温床でもある)。

 

しかしやがては集団(社会)の一員になる時が訪れる。

そのための教育が(普通?は)施されるが、

その、量、質、タイミング、親子の関係性等が

不適切な場合、社会的に不適応(全部か一部かは状況次第)

になる可能性がある。

 

中元すず香の、ポンコツ伝説、は、

社会的には不適合であることの現れであろう。

 

意識レヴェルの変更は比較的容易いが

(生育期間の初期に植え付けられる)無意識の領域の

要素は改変が難しい。

 

ヒトは何度も繰り返してしまう失敗や、

嫌いなモノの理由や、

変なこだわりの、

理由がわからない。

それは、注意深く(眼につかない)場所に置かれているから。

 

中元すず香は幸せ?な幼少期を過ごしたのであろう。

あまり拘束感の無い好きなことに向き合える時代

(それと引き換えに、ポンコツ、ではあるが)。

 

「赤ちゃん」の彼女の無意識には、音楽、が深く

射し込まれたのであろう。

音楽、は彼女のココロの領域いっぱいに広がり

支配したのであろう(他のモノの入り込む余地はあまり残されなかった)。

 

ツネ様が与えたsu-metalと云うペルソナを得た中元すず香は、

二人の天使と神バンドと共に「戦う」時はじめて、

(社会に)適合する。

 

しかし、彼女の、赤ちゃん、は赤ちゃんであるが故に、

その、精神と肉体、は未成熟(好きなことだけする)である。

 

例えば、パフォーマンス時、声が出ていないのは、

単純なコンディション調整の失敗と見るのは早計であろう。

su-metalにとって、ライヴは(オーディエンス及び自分との)

「闘い」である(しかも、勝ち方、もこだわる)。

そうであるなら、モチベーションの置き所は重要である。

好きな「歌」が歌える、と云うだけでは

もはや闘えなくなってきているのではないか。

今年のワールドツアーのmexicoと'第一章’を締めくくる武道館の

パフォーマンスの違いは一目(一聴)瞭然。

 

今現在、中元すず香/su-metalの身体機能もテクニックも

向上している(そしてまだ、原石、の輝きも失われていない)

はずである。しかしそれらは表には良い形では現れていない。

 

中元すず香/su-metalの、赤ちゃん、には

新たな、滋養、が必要なのだろうか。

それとも、赤ちゃん、の純度を上げる必要があるのだろうか。

あるいは、何らかの形で(赤ちゃんは)社会性を

身につける必要があるのだろうか。