babymetalを受容する(/しない)世界

アイドル(偶像)を求めるココロを通して妄想でbabymetalを考える

君ほほえめば 別テイク

かつて、松本人志、は、

松本人志名義の)単独ライヴは意味が無い。松本人志を観たい人間しか来ないから、

と云うような趣旨の発言をしていた(そして、ダウンタウンのことなど知らない

客の前で漫才をしたい、とも)が、

自分はおもしろいのだ、イヤ、おもしろくない訳が無い、おもしろいに決まっている、

と云うまるで呪詛のような言葉が、強迫神経症患者のように頭の中を

支配していた時期の松本らしい素敵さ、である。

 

su-metalには、単独ライヴにはもう、敵、は居ない、のであろう。

いや、自分との闘いが残っているではないか、と云う反論も

有ろうかとは思われるが、すぅちゃんまじあかちゃん、なのである。

内省はまだ先の話であろう。

 

ソニスフィアとヘヴィーモントリオールの映像は

何回観てもゾクゾクさせてくれる。

babymetalのことなど知らない客が最後は、

「うぃーあー!」「babymetal!」と、コールアンドレスポンス

に応じて、キツネサインを挙げるのだ(しかも日本語も解らない人たちが)。

 

su-metalは(冷静に)興奮しているのだ、

自分の声(歌)イッパツで、自分たちのことを知らない客を

踊らせてやる、と。

 

このスリルの末のエクスタシーを味わえば、

単独ライヴはやはり物足りない(が、決して本人が意識の上でそう思っては

いないであろうが)。

タニマチを喜ばせるのと、興味を示さない相手を釘付けにするのとでは、

比較にならない(気持ち良さは)

妻とのセックスと(やっと口説き落とした)浮気相手のそれとを比べれば

(比べるまでもないが)明白な結論であろう。

 

メキシコもトロントもそのことを

アカラサマにしているように思われる。

 

中元すず香はともかく、su-metalの爽やかな(アイドルみたいな)

笑顔は必要無い。

ミナミの帝王(Vシネ版)の、竹内力/萬田銀次郎、バリの不敵な笑みを

見せてもらいたい。

 

(特に)レディング/リーズ、は、queen

面目躍如といっていただきたい。