babymetalを受容する(/しない)世界

アイドル(偶像)を求めるココロを通して妄想でbabymetalを考える

anastasis

download festivalでのサプライズ?共演は、

台本(ギミチョコ)どおりにしか演らない役者(babymetal)と、

アドリブも挿んでくる芸人(dragon force)の

コントラストが鮮明になった舞台のようである。

 

(今回の演奏自体の、善し悪し、は措くとして)

現行の儀式的(/シアトリカル)なライヴの形と比較すると、

違和感はかなりのものがある、のは確認できたであろう。

 

(リハーサルの濃度も含めて)「ご祝儀」的な扱いであったであろう

今回のセッションが、今後の(何がしかの)布石になるのかどうか、

気になるところであろう。

 

su-metalの口から葉加瀬太郎の名前が出ているが、

現状、生身の人間と(何のエクスキューズも無く単独の)舞台で、

からむ、ことはbabymetalのプロデュースサイドは考えていないで

あろう(マネジメントも含めてオンリーワンで在り続ける必要は

常にあるであろうから、今回のone shot的なケースを除けば、

外部との共演は、何か仕掛け=『必然性』、が無ければ、

成立し得ないように思われる)。

 

そもそも、babymetalの3人と神バンドの4人(この世のモノでは無い者)以外の

者を「メイト」はステージ上に観たいであろうか。

 

babymetalの非日常(なんじゃこれ)感は、

「儀式/祝祭」性の故であろうから、

わざわざ、ソレ、を壊してまで、新たな世界を

構築する必要が(緊急、的に)あるのかどうか。

 

しかし、babymetalは、オンリーワン、を目指しているのである。

精度(や、クオリティー)を上げていったとしても、

スタイル、の模倣は(後続に)行われ、やがて

陳腐化するであろう(その前に、何か、は起こるであろうが)。

 

神神が支配する世界では人知を超えた事が

何でも起こりうるのだ

(そもそも、神神と人間、の区別は、その行動からはつかないのが

多神教の世界だから)。